音楽好きな子供時代を過ごす。 物心ついた頃から長年ピアノを習うが、豊かな表現が不得手だった。中学、高校と軟式テニス部に所属し、毎日のようにコートを走り回ったが、これも特に才能なく、「エースをねらえ!」の漫画を美容院に持って行き「これと同じ髪型にして」と請うような娘時代であった。
お小遣い3000円をもらうと、即行レコード屋さんに走り、
2500円でLP盤を買い、250円で別冊マーガレットを買い、残り250円はおやつ、という使い方が常だった。その頃からバンド活動を開始し、関西外国語短大時代はフォークソング部に所属。ギターを囲み、大勢で「翼をください」を合唱していた。ちょっと今では考えられない!
20代は勤め人として、OLや営業職等、働きづくめの生活の中から色々な経験を積むことが出来たのが宝だ。世の中がバブリーの前後で、オフィス内のパソコン環境などが目まぐるしく変化していた時代であった。
そして93年…漠然と「30才になるし、何か体を動かす習い事がしたい」と考えていた折に、フラメンコ体験レッスンの誘いに乗った。
それまでフラメンコの事は何も知らなかったし、ダンスの経験も無かった。長いスカートを履いて、カスタネットを鳴らしながら踊る光景を前にして、胸が高鳴った!
「私、ずっとこれがやりたかったんだ!」
何かわからないけど、やっと出会えた気がした。それからというもの、ただただ楽しくて現在に至るー・・・・ってあれれ?
これでは、プロフィールとして成り立たないのでフラメンコ・ダンサーとしての地味〜な経歴を補足。
98年に会社を辞めてスペイン行きを決行。セビージャで学んだ後、柳光みゆき氏に師事。舞踊団のメンバーとしてライブ・イベントに参加しつつ、氏の産休を期に代教を始め、タブラオでも踊り始める。フラメンコと並行して、ジャズダンスのストレッチ基礎を受講し、踊る為の体作りと体の使い方をゼロから学ぶ。派遣やアルバイトで収入を補いながら、2000年、2007年にもスペインを覗きに行き、コルドバ、ヘレスで学ぶ。長年の講師活動を経てやっと、自分にも伝えられる事があると思えるようになった。そして何よりも、フラメンコが好きである。フラメンコなら、表現することが自然に思えるし、これまでの人生が活かされていると感じる。これからも私のライフワークだ。